profile

 

 

・家族構成 (2021年8月21日現在)

 私(50才)、妻(56才)、娘(17才)、息子(14才)と4人暮らし。

 

 

・趣味

 釣り、ビリヤード、海藻研究

 

 

・特技

 鳩笛、文章を書くこと

 

 

・尊敬する人物

 坂本龍馬、ニーチェ、ソクラテス

 

 

・好きな言葉

 Let it be.

 Boys, be ambitious

 無知の知

 負けるが勝ち

 

 

 

・長所

 人間関係であまり敵を作らず、協調性がある。

 友達が多い

 

・短所

 短気だけど小心者。

 すぐに緊張する。

 頑固で柔軟性に欠ける。

 

 

・資格

 博士(水産科学)

 小型船舶1級

 中高理科教諭一種免許状

 特別支援学校教諭二種免許単位取得(3年間以上在職で免許取得可能)

 旅行業主任添乗員資格

 東京都自然ガイド(失効?)

 小笠原ホエールウォッチング協会・ホエールウォッチングインタープリター(前職で私が立ち上げたガイド制度)

 

 

 

・受賞

 ・東京都から環境分野の功労賞(小笠原エコツーリズム推進委員会として受賞)

 ・第一回環境省エコツーリズム大賞優秀賞(小笠原ホエールウォッチング協会として受賞)

 ・日本インターネット新聞社から硫黄島の記事で編集部長賞

 ・第5回マニフェスト大賞審査委員会特別賞&優秀コミュニケーション賞

 ・第10回マニフェスト大賞最優秀政策提言賞

 

 

・一木 重夫のあしあと

0

197167日。千葉県千葉市で生まれる。

46

東京都杉並区の明徳幼稚園に通う。

小学1年生

東京都杉並区立杉並第五小学校に入学。

小学2年生

東京都港区立御田小学校に転校。

学校帰りや休日は竹芝桟橋でサッパとカタクチイワシ、有栖川宮記念公園や赤坂弁慶橋の池でクチボソや鯉を釣っていた。

小学6年生

神奈川県藤沢市立鵠洋小学校に転校。

憧れだった湘南の海で釣り三昧。

中学1年生

神奈川県藤沢市立鵠沼中学校に入学。

バスケットボール部に所属。

中学3年生

バスケットボール部の副主将を務める。

途中、東京都港区に転居するが、藤沢まで通って卒業。

高校1年生

神奈川県立七里ガ浜高等学校(鎌倉市)に入学。

港区から片道1時間40分かけて3年間通う。

高校1年生の時はバスケットボール部に所属。

毎朝5時に家を出て朝練。夜10時に帰宅する日々を送る。

高校2年生

バスケットボール部で私以外の同期が全員退部し、コーチも辞職したため実質的に部が解散。

目標を見失いグレる。

授業をさぼって麻雀、ゲームセンター、ボーリング、ビリヤード、釣り、ゴルフ、喧嘩に明け暮れる日々。

世界史の学期末試験で7点、全く同じ問題の再試で27点しか取れず、世界史の先生を本気で怒らせてしまい留年を宣告される。

留年判定会議にかけられるも、担任の先生に救われる。

高校3年生

留年から救ってくれた恩師に報いるため、授業には出席するよう更生。

しかし、クラス内最下位の成績で卒業。

センター試験の数学は0点。

全得点の順位は全国十何万人中、ビリから500番目という散々たる結果。

数学の学期末試験で0点を取るも、答案用紙に反省文と将来の夢と先生の似顔絵を書いたら卒業させてくれました。

予備校1年生

駿台予備学校の無試験入学クラス(特理)に入学。

予備校の選抜クラスに3回受験するも不合格。

海好きだったので水産学部を志すも、勉強する意味を見いだせず、竹芝桟橋やすぐ隣の日の出桟橋でボーッとする毎日を過ごす。

夜は一人で酒に溺れていました。

蒲田の一杯飲み屋で一人飲んでいるとき、隣の見知らぬおじさんに夢を語ったら

「研究者か政治家になれ」

と言われてその気になる。

このおじさんの言葉は、その後の私の人生に大きな影響を与えてくれた。

予備校2年生

ようやく勉強する意味を見い出し、中学時代の勉強から始める。

数学は小学校のドリルからやり直し。

朝の7時から深夜4時まで、死に物狂いで1年間勉強。

この時、社会科で「政治経済・倫理」を選択し、政治経済の重要性を学ぶ。

政治を志した原点になっている。

ソクラテスの「無知の知」、ニーチェの「運命愛」、デカルトの「方法序説」、マルクスの「資本論」に感銘を受ける。

でも、共産主義者ではありません。

大学1-2年生

北海道大学水産系(札幌市)に入学。

自然保護研究会に入会するも、思想主義的な自然保護に疑問を持ち、経済活動の枠組み内での自然保護を思い立つ。

この時の発想がエコツーリズムに役立った。

教養学部在籍だったので、幅広く学問と向き合う。

ヒッチハイクで北海道・全国を渡り歩く。

大学3年生

函館市の水産学部移動し、基礎スキー部に入部。

水産学とスキーを学ぶ日々。

大学4年生

水産植物学講座(研究室)に所属。

海藻の生理生態を研究する毎日。

海藻の新たな生死判定法を開発し、日本水産学会誌の学術論文になる。

大学院修士課程

小笠原海洋センターで1ヶ月半、ボランティア活動。

小笠原の人と自然に惚れ込み、その後小笠原に移住を志す原点となる。

2年間)

宇宙飛行士に憧れ、防衛庁幹部候補(戦闘機パイロット)国家I種試験にチャレンジ。

ペーパー&飛行適正試験に合格するも、目の精密検査で不合格。

 

その後、海藻の研究に明け暮れる。

 

どうしても解明したいことが解明できず不本意な修士論文になる。

解明するために博士課程の進学を決意。

大学院博士課程

修士課程で解明できなかったことを解明したが、アメリカと日本の学会では認められず。

3年間)

しかし、偶然発見して発表した論文が国際藻類学会誌に掲載され、世界中で知れ渡ることに。

 

この論文で博士号取得を確実なものとした。

 

規定の3年間で博士号を取得して、23年間の学校生活を終える。

 

小笠原で就職先を探していたところ、小笠原ホエールウォッチング協会のエコツーリズム担当職を紹介してもらいアルバイトとして就職。

小笠原1年目

ガイド養成事業、ホエールウォッチング・インタープリター制度を立ち上げる。

(平成13年度)

アジア・エコツーリズムワークショップに参加(インドネシア)。

石原都知事の特別秘書に会わせてもらい、東京都自然ガイド制度の基礎づくりに携わる。この時、政治の力を目の当たりにする。

小笠原2年目

小笠原エコツーリズム推進委員会の委員兼事務局員に任命される。

(平成14年度)

東京都の南島のモニタリング調査に参加(その後4年間)。

小笠原3年目

村議会議員選挙への出馬を考えたが、時期尚早と判断して断念。

(平成15年度)

環境省、林野庁、東京都等からの受託事業やエコツーリズム推進のための調整に明け暮れる日々。

 

議会傍聴に行ったとき、議会事務局でアルバイトをしていた妻と出会い結婚。

小笠原4年目

小笠原エコツーリズム推進委員会が、東京都から環境功労賞を授与される。

(平成16年度)

関係機関との合意を得て小笠原エコツーリズム推進マスタープランを完成させる。

 

このプランが私の政策そのもの。

 

イルカ調査隊を立ち上げる。

小笠原5年目

小笠原ホエールウォッチング協会が環境省のエコツーリズム大賞優秀賞に選ばれる。

(平成17年度)

小笠原エコツーリズム協議会ルール部会員になるが、不本意な活動しかできず。

小笠原6年目

小笠原ホエールウォッチング協会のアルバイトから正職員に採用され、出来高制のフリーター生活から脱却。

(平成18年度)

小笠原全体のエコツーリズムを推進するためには、政治の力が必要であることを確信。

 

11月に小笠原ホエールウォッチング協会長へ辞意を伝え、村議会議員選挙への出馬を表明。

有休を1日も消化せず、331日まだフルに働いて円満退職。

小笠原7年目

村議会議員選挙に立候補。

158票、9人中5位で初当選。

(平成19年度)

小笠原空港開設推進特別委員会・副委員長に就任

小笠原9年目

議会運営委員会・委員長に就任

(平成21年度)

小笠原10年目

地方議会活動の甲子園と言われる第5回マニフェスト大賞審査委員会特別賞&優秀コミュニケーション賞を受賞(866件の応募の中、2番目)

(平成22年度)

小笠原11年目

村議会議員選挙に立候補。163票、9人中6位で2回目の当選。

(平成23年度)

 

硫黄島調査特別委員会・委員長に就任

小笠原15年目

村議会議員選挙に3回目の立候補。182票、9人中3位で3回目の当選。

(平成27年度)

小笠原航空路開設推進特別委員会・委員長、総務委員会・委員長に就任

 

10回マニフェスト大賞最優秀政策提言賞を受賞(約600件の応募の中で1位

小笠原19年目

平成314月、任期満了に伴い村議会議員を引退。村議選には立候補せず。

(平成31年度)

令和元年721日の村長選挙に出馬。

444票(有効投票の3割)を得て村長選挙に落選。